ラベンダー・ヒスイ(ラベンダー翡翠)

化学式:NaAlSi2O6

ラベンダー・ヒスイ(ラベンダー翡翠)
Getrommelt, Guatemala

 ラベンダー・ヒスイラベンダー翡翠)とは、ラベンダーの花のような紫色の本ヒスイ{硬玉(ジェダイト)}です。本ヒスイの本来の色彩は白色であり、クロムの混入などが原因で緑色を呈するようになったものが宝石に利用されています。本ヒスイは白色と緑色のものが大部分であり、他の色彩のものはカラーダイヤモンドのように例外的な存在です。特殊な色彩の中で、産出量が比較的多いのが紫色です。西洋では、ヒスイ(翡翠)は宝石として取り扱われていませんが、ラベンダー・ヒスイはアメリカ人に人気があります。展示した標本は中米のグアテマラで採取されました。紫色でも、かなり、青色に近いと色彩です。もっと赤みが強く、紫色や赤紫色を呈しているものが存在することを紹介しておきます。
 ラベンダー・ヒスイの発色原因は完全には解明されていません。産地による違いもあるようです。新潟県の糸魚川ー青海地域で産出するラベンダー・ヒスイの場合、全体的な組成は理想的なヒスイ輝石に近くなっていますが、少量のチタンが含まれています。チタンが発色原因と推測できますが、どの様な状態で存在するかは不明です。不安定な状態ですが、アルミニウムの一部がチタンに置き換わっているという説が有力です。しかい、まだ、直接的に確かめられてはいません。ミャンマーのラベンダー・ヒスイの場合、新潟県のもの以上に、理想的なヒスイ輝石に近い組成です。チタンは検出できず、代わりに、鉄が含まれています。着色は、アルミニウムの一部が鉄に入れ替わっているためだと考えられています。鉄と共に、マンガンによる置き換えが増えると、赤みの強い紫色になるようです。ここで展示した標本にはチタンを主成分とする別の鉱物(ルチル)が含まれています。同様の特徴が新潟県のラベンダー・ヒスイにも見られます。よって、展示品はチタンによる発色ではないかと思っています。

コラム「中米の本ヒスイ文化」
 中米地域は古く(日本に次いで二番目の古さ)から本ヒスイ(硬玉)を使用していた地域です。紀元前3000年頃、中米のオルメカ文明で多くの青い本ヒスイが利用されていました。オルメカ文明は紀元前500年頃に消え去り、その後、マヤ文明が出現。同地の文明は、アステカ文明へと続いていきました。その際、本ヒスイを愛用する文化も引き継がれました。ただし、マヤ文明とアステカ文明では緑色の本ヒスイが利用されました。青色から緑色へと色彩が変化したことに注意してください。アステカ文明は、スペイン軍によって、1521年に滅亡し、本ヒスイ文化も消滅しました。本ヒスイの産地も忘れ去られてしまいました。そのため、中米のヒスイ文化の存在は歴史のミステリーでした。本ヒスイが再発見されたのは1955年です。緑色の本ヒスイの産地がグアテマラのモタグア地域で見つかりました。青色のものも同じ地域に存在すると考えられましたが、なかなか見つからず、発見は2001年でした。ハリケーンによる土砂崩れが発生し、それが切っ掛けとなって、見つかりました。

ラベンダーの苗 ● ラベンダー・ヒスイ(ラベンダー翡翠) (裸石)


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